西海市議会 2022-06-15 06月15日-03号
(4)令和4年西海市消防出初式で吹奏するラッパ鼓隊を見たが、ラッパ隊の制服がそろっていないことに驚きを覚えました。予算上の理由もあると思いますが、制服を統一する考えはないか、お伺いをいたします。また、ラッパ鼓隊の構成について、本年2月4日の令和3年度第2回西海市消防委員会の中で、出初式に向けて練習の負担が多く、不公平感がある。
(4)令和4年西海市消防出初式で吹奏するラッパ鼓隊を見たが、ラッパ隊の制服がそろっていないことに驚きを覚えました。予算上の理由もあると思いますが、制服を統一する考えはないか、お伺いをいたします。また、ラッパ鼓隊の構成について、本年2月4日の令和3年度第2回西海市消防委員会の中で、出初式に向けて練習の負担が多く、不公平感がある。
消防団の充実については、それぞれの設備等の充実に的確に努めてきたと、このように考えておりますし、消防団の要望に応えてラッパ隊への太鼓の購入など、こういったものを進めてきました。 また、自治会ごとの自主防災組織につきましては、結成に向けて、この春より防災課の体制を強化し、今、熱心に自治会の皆様方に働きかけを行っているところでございます。
それに対して国は、そういう制度を設けて、ぜひそれを補完する団員というものをつくっていこうというのがこの趣旨でありますので、先ほどの任務辞令のほかにも、本市においても女性団員の問題、それからラッパ隊ですね。あれは重複して分団員と両方されてるんです。それから、何よりも退職、退団された団員の皆さんの活用策。
1.人口減少対策について(市長) (1)人口減少対策としての環境づくりについて 2.児童・幼児福祉事業について(市長) (1)待機児童の実態と解消について 14番 森山 繁ー 議員 1.消防団員の活動について(市長) (1)消防団員の定数について (2)新入団員の加入・促進について (3)本部並びに各分団の運営費について (4)ラッパ隊
私もラッパ隊の経験があるんですけど、ラッパの楽器がメーカーが違うため音が違う。時間も限られているので言いますが、そしてまた消防関係ですね。 あと、今回、一般質問で同僚議員も墓のことを言われていますが、私も数年前に行政区長という立場でいました。その中で、それぞれの地域の墓を市有化しますというもとでいろいろ調査が入りました。でも、現在されているのは西彼、大瀬戸がほとんどで、西海は一部と。
午前9時から福江文化会館で、永年、消防団員として地域防災に御尽力された方に対しての表彰がとり行われ、式典終了後は、消防ラッパ隊を先頭に、五島市消防団員、約630名と婦人防火クラブ員、幼少年消防クラブ員を加えた勇壮な市中行進が消防車両42台を従えて行われます。また、丸木埋立地において、消防ポンプ車26台による一斉放水も行われます。
三つ目に消防団についてでありますが、平成25年度12月議会で女性消防団の加入やラッパ隊の充実と組織の位置づけ等について一般質問しております、25年です。
今後についてでございますけれども、女性消防団員の加入やラッパ隊の組織における位置づけ等についても条例の定数内での組織見直しを基本として消防団とともに検討していきたいというふうに考えております。
町民総出で、女性軍がバスからおりてくるときには、役場の2階から消防隊のラッパ隊がファンファーレを吹いてくれるのです。 そして、中学校のブラスバンドが歓迎をしてくれる。そして地元の子どもの浮立、それも歓迎してくれる。そして地元に琉球太鼓の団体がありますけども、それも応援をしてくれるということで、非常に派手な催しがありました。
ことしも草むしりから植木の剪定など、海上自衛隊の隊員の皆さんが手伝ってくださり、当日のテント張りから、式典のラッパ隊の演奏など、大変御理解と御協力をいただいております。 毎年同じようなことをやっているにもかかわらず、ことしは剪定や草むしりなどの清掃が完了し、その草や剪定したものを袋に詰めていただいて、市の担当課である福祉政策課に「取りに来てください」と電話をされました。
ラッパ隊であるから行かんといかんとか、やはりそういうことで無理してやっておるんですね。 ですから、これは大島町、崎戸町の特殊な事情といえばそうかもしれませんが、ほとんどが会社の勤めなんですね。
また、北有馬地区の本部分団ではラッパ隊を結成しており、消防出初め式でのラッパ吹奏も行なっております。 基本的に、これらの本部分団は市職員で構成されておりますが、これまでの組織改正に伴い、現在、支所勤務の本部団員は、布津2名、北有馬1名、南有馬に2名が残っているのみであり、特に昼間の火災の場合は従来どおりの機能を果たすことは困難な状況になっております。
海上自衛隊からは15名の儀じょう隊、10名のラッパ隊を派遣していただき、厳粛な雰囲気の中にも鎮魂の儀式が、今回も無事に終了したといいます。 私は、昨年の6月議会でも、この慰霊祭についてお尋ねいたしましたが、この戦争では軍人のみならず、動員された学生たちとともに多くの大村市民も犠牲になっております。
例えば、長与町ではラッパ隊というすばらしい隊の訓練がなされていて、見事なですね、ラッパの演奏をされて行進をされると。こういうものの特徴がやっぱりあるわけですよ。ですから、何もかにも近隣近隣ではなくてですね、時津町の消防というものに対する特徴を生かすようなもののですね、やはり報酬のあり方、あるいはほかのですね、支出、費用弁償等々にも十分配慮してもらわなければならないというふうに思うわけです。
昭和36年10月25日に第1回の慰霊祭がとり行われて以来、毎年この日に各界各層の関係者が集い、慰霊祭がとり行われ、海上自衛隊の儀じょう隊、ラッパ隊の吹奏等で鎮魂の式を行っておるということであります。 この旧21海軍航空廠で慰霊を受けられる犠牲者の中には、多くの大村市民も入っておられます。